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大腸がんステージ4で亡くなった母のこと〜緩和ケアへの移行と看取り〜

前回に引き続き、大腸がんステージ4で亡くなった母のことを綴ります。

 

病気の発覚や抗がん剤治療に関しての記事は下記からどうぞ。

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闘病記

 

緩和ケアへ移行し在宅で過ごすことになった母の様子や、介護保険や福祉用具など社会福祉とのつながり等などを思い出しながら記載します。

 

亡くなる3ヶ月前のこと

 

主治医と両親が最後の面談をしたのは、2023年のGWの1日でした。

 

その際、「最期をどこで迎えるのか」「介護保険の申請」などの話もありましたが、余命については主治医も「わからない」と…。

 

「わからない」というのは、抗がん剤ばかりで体力を消耗し辛い思いをするよりも、自分のやりたいように生きる方が長生きする場合もあるからはっきり言えない、といったニュアンス。

 

治療が終了しても、母は2週間に一度主治医の診察を受けに行っていました。

 

やはり、「体力が戻ったら治療をする」という気持ちを訪問看護師さんにも伝えていたし、このまま往診に移行するのは心残りだったのかなと。

 

咳や痰の症状に悩みつつもなんとか歩ける体力があったこの時期。

 

夫からの勧めで、フォトスタジオで家族写真も撮りました。

 

この時の写真が遺影になっています。

 

思い出にもなりますし、やっておいてよかったことのひとつです!

 

介護保険申請

 

母は在宅で過ごしたい希望があったため、介護サービス利用のために介護保険の申請をすることになりました。

 

まずは、市のHPから介護保険の申請書を印刷し記入して、介護保険課に提出。

 

受理された後は母の状態を確認する認定調査が入るため、その担当者と電話で日時の調整を行います。

 

そして、認定調査当日に調査員さんに家に来ていただいて、日常生活等の聞き取りがありました。

 

保険証が届くまで1ヶ月ほどかかったので、現在介護サービスが必要なくても早めに申請した方が後からバタバタしなくて済みます。

 

実際、母も亡くなる2ヶ月前に福祉用具購入のため介護サービスを利用しているので、必要な方はお早めに。

 

のちに、母は要介護1と認定され、通院している病院系列の居宅介護支援事業所のケアマネさんにケアプランの作成をお願いしました。

 

ちなみに、要支援で認定された場合は、地元の地域包括支援センターに連絡。

 

要介護は、居宅介護支援事業所に連絡して担当ケアマネさんを決めるそうです。

 

(私の市では事業所の名前や電話番号が記載された一覧の紙をもらえました)

 

 

亡くなる2ヶ月前のこと

 

要介護1の認定が下りた母。

 

この時も、訪問看護での栄養点滴を行い、なんとか通院して主治医と緩和ケア医の診察を受けていました。

 

しかし、咳がひどく息苦しいため、外出先で歩くのも一苦労になりケアマネさんに相談。

 

車椅子のレンタルを希望し、福祉用具の業者さんに繋いでもらいました。

 

車椅子のレンタルは、要介護2以上でないと介護保険を利用してのレンタルが難しいとのことでしたが、例外給付で借りられることに。

 

福祉用具もどれが良いかわからなかったので、専門の相談員さんとケアマネさんが一緒に選んでくださってとても心強かったです。

 

レンタルした車椅子を持って、母と買い物に出かけたりもできました。

 

ちょうど6月は私の誕生日で、「多分プレゼントを渡せるのも最後になるから…」と誕生石のネックレスを買ってくれたりもしました。

 

車椅子を押しながら見る母の後ろ姿は、一生忘れないと思います。

 

 

亡くなる1ヶ月前のこと

 

病気になってから母が暮らしていたのは母の実家で、祖父母と伯母が一緒に住んでいました。(父は単身赴任中)

 

転勤族でしたが地元に家を建てていて、母はもう一度自分の家に戻って家族との時間を過ごしたい希望もあったのです。

 

その希望を叶えるべく、再びケアマネと福祉用具の業者に相談し、介護ベット一式のレンタルとシャワーチェアの購入をしました。(介護保険を使ったのはシャワーチェアのみ。)

 

そして、ちょうど弟が帰省するタイミングでベット等を設置し、3泊ほど自宅で過ごすことできました!

 

自宅で、しかも家族5人(+私の息子)でご飯を食べるなんていつぶりだったかな…

 

杖をつきながらも外食に行けて、家族の時間を満喫できたと思います。

 

この後から呼吸苦緩和のため酸素療法も始まり、常時酸素を2ℓ吸うように。

 

酸素を吸うことで少しは楽になったそうですが、オプソという医療用麻薬は1日3~4回ほど飲んでいました。

 

しかし、7月末痛みや高熱が出て入院。

 

骨盤付近の痛みを訴えCTを撮ってみると、新たに腸骨に転移していることがわかりました。

 

入院してから主治医の先生には、「あと1週間くらいかもしれないから家族に来てもらった方が良い」と言われたそうで私に電話をかけてきました。

 

しかし、緩和ケアの先生によると、「今の状態で痛み止めを使ったとして、とろんとすることはあっても意識がなくなることはなく、むしろ痛みが取れて過ごしやすくなる」と余命撤回…

 

結局、緩和ケアの先生の言ったとおり、痛み止め等の配合もよかったのか、熱も下がって痛みはなくなり、呼吸苦も多少軽くなったようです。

 

このころから、オプソではなくポンプに繋がれたボタンをプッシュして痛み止めを入れる形式に。

 

入院中は特別に息子の面会も許され、できるだけ毎日顔を出すようにしました。

 

痛み止めの薬も効いて、入院当初よりは顔色も良くなった母。

 

しかし、明らかに食べる量は減っていて、お昼ご飯に食べるのはパンと他のおかず数口ほど。

 

息子にもらったお菓子は一緒に食べていたなぁ…^^

 

本人は家に戻ることを希望していて、緩和ケアの先生や医療ソーシャルワーカーさんもそのように動いてくれたので退院が決定。

 

その後再度ケアマネさんに連絡を取り、介護ベッドなど在宅で母を迎える準備を整えました。

 

 

退院から看取りまで

 

退院日は、母の希望でファミレスへ。

 

弟に手を引かれながらゆっくり席へ向かいました。

 

ずっと食べたいと言っていたふわふわのかき氷にエビドリア。

 

家族での外食はこれが最後になりました。

 

母の実家に戻ると、訪問看護師さんが点滴等の処置をしてくださり、次の日往診の先生方の診察があったりと忙しい日々。

 

往診や福祉用具などの契約書もたくさん書いたなぁ。

 

その後、息子が体調を崩し私は看病の日々。

 

日頃の見守りは弟や祖父母、伯母がしてくれていました。

 

しかし、亡くなる5日くらい前には見てわかるほど状態が悪化。

 

痛みや呼吸苦がひどい時には座薬を入れてなんとか落ち着いたようですが、伯母も訪問看護師さんを呼び対処。

 

そこから、痛み止めの量などが増え、母もうとうとする時間が増えていきました。

 

この頃からLINEも返せず、祖母にビデオ通話を繋いでもらうと、目もうつろで以前の母ではなくなっていました。

 

皆と一緒に居間にいても母の意識が飛んでいるときがあり、トイレもなんとか連れて行く状態。

 

亡くなる2日前の訪問看護では、もうオムツにしたほうがよいとまで言われましたが、介護福祉士の伯母がなんとか連れて行っていました。

 

ほぼ声も出ておらず、体を起こすことはできても傾眠状態。

 

亡くなる前日には飲食ができず、伯母も溜まった痰を取るのに苦戦。

 

本人も大変嫌がって、でも苦しそうで、血中酸素濃度も77%と下がっていたため訪問看護師さんに来て取ってもらいました。

 

正直、母に申し訳ないことをしたと思っています。

 

痰をとるのはやめてくれとジェスチャーでしていたのに、訪問看護師さんを呼んでまで痰を取ってしまった。

 

最後の最後に辛い思いをさせてしまったと後悔しています。

 

ごめんね、お母さん。

 

看護師さんが帰ったあと、私と息子も帰宅。

 

しかし、翌日の午前2時過ぎに弟から危篤との電話があり、急いで祖父母宅へ。

 

なんとか呼吸をしていても、手足が冷たくなっていた母。

 

パルスオキシメーターも反応がありません。

 

もうお別れが近いということを実感。

 

そして、午前4時過ぎ、皆が見守る中で息を引き取りました。

 

看護師さんとエンゼルケアをする時、手足は冷たくても背中は温かくてまだ生きているみたいでした。

 

亡くなる前日、叔母と一緒に母の着替えを手伝った時と同じ温かさ。

 

最後の温もりは忘れることができません。

 

エンゼルケアを終え、往診の先生も来られて、母は亡くなったと診断されました。

 

穏やかに眠る母は、まるでお人形みたいに綺麗。

 

57歳という若さで亡くなってしまったけど、癌という病気はある意味覚悟の時間をくれる病気だったと思います。

 

病気発覚からこの日が来るまで毎日大腸がんや同じ病気と闘っている方の情報を調べたし、来てほしくないお別れまで想像して心にバリアを張ってきました。

 

だから、母が亡くなった時も「来るべき時が来た」と自分を落ち着かせられたのだと思います。

 

急なお別れではなかったし、母との時間を充実できたことはなによりよかった…

 

現在も毎日母のことを考えていますが、ご飯も美味しく食べられていて、2歳半の息子の世話に大忙しの日々を送っています。

 

息子に「ばぁばにおはよう言った?」と小さな遺影の写真を見せると、笑顔で「おはよう、ばぁば」と挨拶するので天国の母も喜んでいることでしょう。

 

49日法要も終わって、

 

今まで育ててくれてありがとう。

 

育児がんばるから天国で見守っててね。

 

そして、ここまで見てくださったみなさん、ありがとうございました。

 

今後もお出かけやグルメの体験談などを載せていきますので、興味のある方は遊びに来てくださいね。

 

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