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大腸がんステージ4で亡くなった母のこと〜病気の発覚と抗がん剤治療〜

久しぶりの更新になってしまいました。

 

実は、大腸がんで闘病していた母が、2023年8月23日に亡くなりました。

 

57歳という若さで旅立ってしまった母。

 

49日法要を終え、生活に少しだけ落ち着きがでてきたので、自分の気持ちの整理も含め、母のことを語らせてください。

 

直腸がんとわかるまで

 

大腸がん、正確に言うと【直腸がん】と診断されたのは、2021年10月のことでした。

 

それまでの母は大きな病気もしたことがなく、強いて言えば痔の手術をしたくらい。

 

便秘がちだったこともあり、今回血便が出ても「また痔かな?」と考えていたようです。

 

しかし、食欲不振や倦怠感などの症状が現れ、地域のクリニックをまわっても良くなることはなく…。

 

ついには咳が出始め、祖母に勧められて呼吸器のクリニックへ。

 

そこでレントゲンを取った際、「すぐに大きな病院へ行くように」と紹介状を持たされ検査を受けることになりました。

 

この時には、ほぼ食事も喉を通らず痩せてきた母。

 

そして、大腸検査の前日の夜、下剤を飲むと症状が悪化し嘔吐。

 

父に病院に連れて行ってもらい、そのまま入院となりました。

 

入院中は、症状が落ち着くとそのまま検査の日々。

 

ここで、直腸がんステージ4ということがわかりました。

 

ちなみに、PET検査結果では、体の様々な部位でがんの痕跡が光っており、「年末までは持たないかも」という話も主治医からあったそうです。

 

母の場合、肝臓・肺ともに多発転移で手術不可。

 

抗がん剤で延命治療をしていく道しか残されていませんでした。

 

 

抗がん剤治療開始

 

抗がん剤治療を行うにあたって、母は右鎖骨下にCVポートを付けてもらいました。

 

抗がん剤のポンプを自宅に持ち帰って行う方には必須アイテム。

 

ちなみに、母はRAS変異ありで使える抗がん剤の種類が少なかったそうです。

 

第一次治療:FOLFOXIRI +べバシズマム

 

最初に行ったのは、FOLFOXIRI療法にベバシズマムという分子標的治療薬を加えたもの。

 

病院で点滴を受けますが、最後に投与する抗がん剤を入れ切るまで48時間かかるため、そのポンプを首から下げて持ち帰っていました。

 

母が副作用として感じていたのは、吐き気や下痢、食欲不振に加え、末梢神経症状など。

 

末梢神経症状から来る手先や足のビリビリした感覚は、この抗がん剤が終わっても続きました。

 

味覚症状もあり、何を食べても美味しく感じず、苦味などを感じていたようです。

 

また、この頃は髪も抜けていて、ウィッグも購入。

 

 

骨髄抑制もあったので、病院に行っても抗がん剤をすることができず、好中球を増やす注射をして帰ってくることも。

 

あまりにも食べられないときは、抗がん剤をお休みして訪問看護で高カロリー輸液(点滴)をした時期もあったようです。

 

強い副作用があった一方、腫瘍の縮小がみられたので、母には効果があった治療だったのかもしれませんが、何クールかの途中で原因不明の腹痛で入院。

 

原発の直腸の切除をして人工肛門となり、このFOLFOXIRI療法は終了となりました。

 

 

第二治療:FOLFIRI +ベバシズマム

 

次の治療として、第一治療のFOLFOXIRIからオキサリプラチンを抜いたFOLFIRI療法に移りました。

 

治療の流れとしては第一治療と同じで、こちらもポンプを首から下げて帰宅。

 

オキサリがない分治療時間は短縮です。

 

ここまでくると、母もポートに刺さっている針を抜くのも慣れっこ。

 

このFOLFIRI療法は、母が一番長く続けられた治療でした。

 

副作用としては、抗がん剤を投与している3日間に吐き気があったくらい(嘔吐なし)で、4日、5日経つとお出かけもでき、病気になる前と変わらない生活を送れていました。

 

ご飯も美味しく食べられ、外食や買い物にも積極的に行き、比較的調子の良い日が続いていました。

 

この療法で落ち着いた時に、家族で温泉にも行って思い出作り。

 

しかし、ゆっくりと病気は進行してしまい腫瘍も増大。

 

特に肺が悪化し、咳もひどくなる一方で肺炎に。

 

遺伝子検査をするも母に適応する新たな治療は見つからず、第二治療は終了しました。

 

第三治療:ロンサーフ+ベバシズマム

 

結果としては、これが最後の治療になります。

 

病院でベバシズマムを投与して、飲み薬のロンサーフは自宅で。

 

ロンサーフは、吐き気や食欲不振などの副作用が出て、2クールほど行ったのちにまた肺炎に…。

 

咳や痰に悩まされる日々に高熱も出て食べられる量も減ったので、訪問看護で栄養の点滴を開始。

 

亡くなる3ヶ月前には、主治医から治療をやめる方向で話が出ていたそうですが、母は諦めておらず、体調が戻り次第抗がん剤を再開する意志もありました。

 

結局、再び抗がん剤をすることはありませんでしたが、母の体力にロンサーフは合っていなかったようでした。

 

 

抗がん剤の進歩を願って…

 

ここまで、母の治療歴や副作用などを家族の目線で書いてみました。

 

大腸がんステージ4を診断された時点で「お別れする未来が近い」ということは頭のどこかにずっとあった気がします。

 

しかし、主治医が「年末まで持たない」「次はお盆まで…」と先々宣告してきた余命を遥かに超えて母は生きました。

 

母が辛い抗がん剤治療を頑張ってくれたおかげで家族旅行にも行けたし、毎日の思い出作りもできたと思います。

 

家族思いの母に、現代の医療に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

でも、早くステージ4のガンでも治る時代になりますように。

 

もっともっと医療が発展して辛い思いをする人が少なくなりますように。

 

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